さよならのおみやげ

kanazawa21coc2005-03-21

子供都市最終日
昨日は夕方から雨が降りましたが、今日は晴天。雲一つない春らしい陽気の中、朝から引き続き、『ジャイアント・トらやん』の組み立てが行われました。消防署の人たちが来て『ジャイアント・トらやん』の火を噴くパフォーマンスに使用する火器に問題がないかのチェックを無事クリアし、あとはクライマックスに向け突っ走るだけの状況となりました。
そして10時。続々と研究所前の広場に集まったスタッフが、一晩にして中から外に出た『ジャイアント・トらやん』にびっくりしています。今回の展覧会は今までのトらやんまつりと違い、美術館の敷地全体を使ってしかも3日間ということでスタッフも今まで以上に人が必要でした。美術館のミュージアム・クルーズや、作品操作スタッフ、金沢美大生や高校生までたくさんのスタッフによってこの子供都市はつくられてきたのです。3日間のなかでも最終日は約100人ものスタッフが集まり、その群衆と『ジャイアント・トらやん』に美術館の来た人もついつい足を止めてしまいます。
13時。ついにオープン。トらやんゾーンは結界が張ってあったせいもあり、結界をとった途端、パビリオンに向かってきます。やはり人気は『子供都市鉄道』。すぐに列がつき、子供達をマンモスゾーンへ連れて行きます。マンモスゾーンでは、『子供都市ガチャポン』が大人気。時間になる前から行列になり、その列は途絶えることがありません。そして『マンモス・パビリオン』はその姿をゆっくりとあらわし、それをまだかといわんばかりにヤノベさんが氷を切り出していくパフォーマンスも。飛び散る氷の欠片に子供達はさわって大喜び。

そしてテレビゾーンでは『Famous of House-for Nobi』こと「のびハウス」が大人気。のびアニキに遊んでもらおうと子供達が群がり、いじり倒します。今日も大盛況のなか、とっておきのパフォーマンスの時間が刻々と迫ります。
 15時。『子供都市鉄道』はしばらく休止し、トらやんゾーンの周りに結界が張られます。すこし物々しい雰囲気のなか、ヤノベさんが登場。『ジャイアント・トらやん』のことを説明し、「これはな〜子供の命令しか聞かんロボットなんや、子供都市の最終兵器なんやで」と。そして実際に子供に『ジャイアント・トらやん』に命令してもらうようにお願いしました。選ばれた男の子が「トらやーん、起きろー」というと『ジャイアント・トらやん』は目を光らせ「チチチナプポイナ ナチコレットチキチキパイプ チナイデチョイチョイ」といい、観客は小さな子供の命令に大きな大きなロボットが反応するのに、感嘆の声を上げます。そして次は、集まった子供達全てに意識を集中させ、子供の怒りを『ジャイアント・トらやん』に。子供達は息をあわせて「トらやーん怒れー!!」大きな子供達の声は『ジャイアント・トらやんに』集まり、その途端、口から怒りの火が飛び出ます。キャーという声やオーという声、様々な反応が入り交じります。『ジャイアント・トらやん』の子供都市を守る力の強さをみんながはっきりと気づいたのでは。

その後はパビリオン再開。しかしその残りはあとわずか。スタッフも少し寂しそうに子供達に対応します。そしてパビリオン体験終了。美術館を取り巻いていた21個のパビリオンもトらやんゾーンに集結。クロージングイベントの準備が着々と行われます。30分押して6時30分。にもかかわらず、昼間以上にお客は集まり、押しましたが飽きてどこかに行くということもなくいまかいまかと待ち構えていました。あわ屋によるライブパフォーマンスがゆっくりと始まります。これから何かがおこる予感を高まらせ、音と、踊りが止まった瞬間、『ジャイアント・トらやん』が2度目の火を噴きました。あわ屋の福島さんが『ジャイアント・トらやん』の真ん前で踊っていたのですが、しゃがんだ瞬間の出来事だったので、一同息を飲んでしまったほど。絶妙のタイミングだったのですごいと思っていたのですが、後で話を聞くと福島さんは直前まで火を噴くことを忘れて、ヤバいと思ってしゃがんだとのこと。この奇跡もが、運を呼びつける力につながるのです。そしてクロージングフィルムの上映が続いて始まります。

トらやんとやのべまさのぶ氏が登場。この子供都市が、大人の手によってつくられたこと。つくったパビリオンが堅牢な要塞となって子供都市をまもってくれることを教えてくれます。3日間という短い子供都市の出現でしたが、このことは子供達の中に大切に残り、また次なる世代へと受け継がれるにちがいありません。ヤノベさんの大きな大きなおみやげをもらった子供達、そしてスタッフや大人達はこれから、どのようにむかっていくのか楽しみな所です。
そして大人達はそれを名残惜しむかのように最後の最後アフターパーティーを。今までのトらやんまつりに登場した参加者が再集結しました。半年という滞在制作の中でたくさんの人との出会いと交流がありました。そのつながりは消えることなくそれぞれの心の中に大切に残っているはず。